日記・コラム・つぶやき

2011.09.23

近況と震災直後のネット言説に感じたこともろもろ

やっと…リズムが出来てきたかなあ。
現在、愛知とつくばを気ままに行き来しております。
気づいたら三カ月以上更新してないやん!!…時間軸が飛んどる。

たまにツイートには書いてるけど、その間、
 退職して女子たちに泣かれたり、(男子は泣いてないw)
 沖縄をふらふらしてたり、
 義父の収集工芸品の行く末を考えてたり、
 住む別宅(別部屋)を決めてたり、
 保険税金に目ん玉剥いてたり、
と、いう感じで過ごしていました。

かってなく時間がある生活…こんなん初めて。
少しの期間、ゆっくりさせてもらいまっせ。

(どっちにいるかわかりませんがメールは生きてますので
お気軽に声かけてね>ALL)

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で、じっくり書くこともなかったけど、震災後の私のスタンスは、「環境破壊が許せない!!それが原発事故によるモノなら、原発イラネ!!」です。現状がどこまで環境破壊されているのかという受け止めで個差が出ると思いますが、私はけっこうペシミスト寄りなんだと思います。

フラッシュバックするのが、私がケッコン前に居た環境と福祉のコンサルタント会社。そこで教えてもらった事、居た人々の発言がたまに思い出されます。いや、発言というか雰囲気?なんだかあの人たちの危惧が現実になったようで。
センシティブなヒトが多いと思ってたのに、実は自分が鈍感で色々見えてなかっただけなんだなって。
悔恨とともに思い出されます。

まあ、今言ってもしょうがないよね。

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今なら書けるかな、震災後のこと。
いや、まだ早いか…
とっつきやすく、震災直後のネットまわりの言説(主にツイッター)で感じたことのみ…

ITジャーナリストのS氏「こういう時こそおいしいものを食べて元気を出そう」
著述家のO氏「元気を出すこと、(ささやかな良いことを)ラッキーと思おう」
このあたりには超違和感を感じていた。そのレベルの話か??って。
いや、ふつーにしてないと経済回らない、ってのはわかるんですよ。
でも感情として、あの震災後の数日にこの発言はどうよ!?と思ったものです。

…きっと彼らも、その当時は規模を見誤っていたんだと思う。

スタンス逆のように見えたのが内田樹氏や東浩紀氏の言説ですね。彼らは災害の規模が測りきれない今は「疎開」もありだと発言し、当時は集中砲火を浴びてた。
竹熊健太郎氏は、少し遅れて危険側に見た発言が多くなったように思う。

当時、仕事を離れられなくて、でもユーストや2ちゃんの緊急自然災害板にたどりついてビビっていた私に、その発言はとても羨ましく思えた。ああ、アリだし、アリだと言えないほど硬直した社会に居るのが今の皆だし私なんだなと自覚した。

もちろん、疎開せずおのおのがその役割を果たしたことで、それぞれの場でそれぞれが救った命の方が多いとは思うのだけれど。でも発言の多様性を許せないほど硬直した社会にイッキになってしまう怖さ。

あと感じ入ったツイート、船曳建夫先生。
なんと先生の家には地下シェルターがあるというツイート。
「ところがEUにも入らず、国民皆兵の気概の独スイスと違い我が国には、生きながらえていると、いずれほとぼりが冷めた頃、国家が全戸を廻って救い出してくれる、そのシステムがない!」
2011/03/24(木)@funabikitakeo氏のツイート転載

ホントだよ…ここでは自分でなんとかするしかないんだよ…
震災直後に感じいった言説はそんなあたりでございました。

―「生きのびるんだ。ここで死んではだめだ」原作ナウシカbotより

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2011.05.30

moving on! Uターン

地元にUターンする事にしました。
7月ぐらいからかな。
4月頭には決意してた。

今、ここでは私、心から安心してふとんをほしたり、深呼吸したり、思いっきり窓を開けたり、水道水をごくごく飲んだり、散歩したりピクニックしたり、スーパーにあるものを無条件にポーンとかごにいれることができない。

「あれ」の値が、科学的に身体に与える影響があるんだかないんだかわからないけれど、ここでは以前の平均から2倍近い値を差し示し続けている。わからないものからは逃げる・避けるのが生物として弱い自分の選択だろうと思った。メンタル面も含めて自分を守るために環境を変えようと。

それに、過去の事故事例と引きあわせてみれば、この環境下での生活は、生物として与えられた生をまっとうできる値とも思えない。揺るがない地面・汚染されていない土&空気が、生活の最低必要条件なのではないか?
という事で、あとから見れば間違った選択かも...そして過剰な反応かもしれないけれど、とりあえずシゴト捨てて、環境を変えることにしました。

まあダンナはしばらくこっちで様子見といっているので、家具とかもろもろはそのままで、遠距離通い妻的な生活にはなりますがー

「moving on」ってくらいだから、ここ十年が大人しすぎた説もあり。

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大震災の後、今までは、失われたもののあまりの多さ大きさにどうも浮き上がれず。
個人的に、物理的な被害があったわけではないので、皆のように、今の場でやれるべき事を粛々と続けていくのがあるイミ正しい姿だとも思うんだけれどね。

なんか自分の中のかなりの部分が、以前の日本(の環境)が失われたことの喪に服しているのを感じる。
2ちゃんで見かけた【思ひで】「3/10までの日本だってさ」というAAが、いちばん心境に近いのでした。

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2011.03.13

東北関東大震災、無事です

やっと書く心の余裕が出てきた。

11日金曜日。私は家に携帯を忘れていた(笑)
いつもなら、カイシャケータイもあるので、私用iphoneは無くてもな、という感じなんだけど、偶然、午前中家に近い本社で打ち合わせがあったので、同僚に「ケータイ忘れたから昼休みに早く入らせてもらってケータイとってくる」って家にとりに行ったんですよね。で、カイシャに戻って決算関係のシゴトをガシガシと脇目もふらずやっていた。

3時近くなのかな?決算関係の数字の切りがついて、立ち上がってプリントアウトした書類を取りに立ったら、ずごごごごという地響きと地鳴りのような音がしてきた。
どーん、という感じではなく、ずごごごご、という感じだったと思う。
その何日か前も、ゆらゆらゆらっとする怪しい地震があって同僚皆で外に出て「やっぱ退避路は確保せなあかんやん!!地蔵のように座ってたら駄目だってー」なんて笑いあってたんですよね。

で、「やば、みんな、外、出よ出よ」ってその決算関係の書類を無意識につかんだまま外に出て。
その時事務所にいたスタッフ半分ぐらい、10人ぐらいが出たら、ずぉんずぉんだかぐわんぐわんだかいう感じで揺れてきて、残りのスタッフもまろび出てきた。揺れが長かった。あまりの揺れの長さと大きさに若い子たちはしゃがんで手をつないで泣きだしそうになっていた。駐車してあった、ブレーキを引いてあるはずの車がおのおの、ぶわぶわと動いていた。私が立ったまま「長すぎるよーーー」とかイミなく波乗りのようになってうめいていたら「こっちきてしゃがんでてください!!」などと声がかかる。

揺れがおさまると、事務所のある新興住宅街は不気味にしーんとしている。

「今のはなに?」「ただごとじゃないよ」などと口ぐちに言い合いながらいったん事務所内に戻り、皆、携帯を持って連絡を取ったりしはじめた。そうこうしているうちに、また揺れはじめて外に出る。
その揺れもまたハンパなく感じる。
「いったい震度いくつなんだ?」の声に我に返りiphoneでウェザーニュースの地震情報を見ると、東日本に7とか6とかの文字が踊っている。「7とか6とかって出てるよー」と驚きあう。ダンナにショートメール打つ。ツイッターをぱっと立ちあげると、いろんなところに住むヒトがみんな「大きな地震!」とツイートしている。ツイッターが機能している事に感動しながら私も「ぶじです」とだけツイート。
いま確認すると「ぶじです」とツイートしたのが、pm3:01。

不気味に静かながらも、遠くから救急車やサイレンの音が多く聞こえてきた。

事務所内は、いつのまにか落下しているモニタもあり、停電していて、私の使っていたノートPCがぽおっと光っている。飲みかけのルイボスティは半分ほど揺れであふれていて書類まで浸水している。

他部署とも話して店舗側は閉じる。というかぐちゃぐちゃ。
外に出ているスタッフ達とはなかなか連絡がとれずやきもきする。帰れるスタッフは帰して、事務所に戻ってきたスタッフや状況を確認する。余震のたびに外にでるが、ぱらぱらとみぞれのような雨も降り注ぐ。

(まだ地震から一時間分しか書けてないけどとりあえずここまで)

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2011.02.09

今はツイッター気分、Facebookは使ってません その壱

「ぼくの演奏に関して
 いろいろな評論文を読みましたが
 あなたの評論ほど
 ぼくを感動させてくれたものは
 ありません

 あなたがぼくの演奏を通して
 こんなに深くぼくを理解
 してくださったことに
 お礼を言いたくて
 筆をとりました」

(「変奏曲 皇帝円舞曲」竹宮惠子/原作・増山法恵 マガジンハウスより引用)

ツイッターの楽しいところを、ヒトにわかるように簡単に話そうと思うけれど「ウォルフから手紙をもらったボブのような気持ちにときどきなれる」ところもあるなーと思う。
(もしかして、あまり普遍化しづらいたとえ?^^;)

「変奏曲」。引用した部分は、天才ピアニストウォルフが、ボブの演奏評を読んでしたためた手紙。その後、ボブはウォルフの家を訪れ、生涯にわたる親交を深めることになる。何が言いたいかわかりづらいですね。いや、ウォルフもボブもうれしかっただろーなって事なんですが。

ツイッターではスキな作家さんたちに(その作家さんにIDがあれば)@で気軽に、直に「good!!」を伝える事ができる。流されても読まれてもいいぐらいの軽い気持ちで。ぱぱっと。今までは、手紙を書くなりサイトを開いてメッセージを送るか....いずれにしても、オトナとなった今は時間がなくてなかなかしにくいアクションだ。

私はシゴト中は別人格なので、ツイッターは全然ヘビーユーザーではないけれども、帰って一息ついて、タイムラインを見て、みんなのつぶやきやがんばりや情報や視点に触れられるのがいい刺激になっている....「チェックイン」ってやつですか?(「キュレーションの時代」はまだ読みかけ)。
ツイッターがmixiとかと違うのは「タイムラインのみんな」が友人知人にとどまらず、発言が気になったヒトからアーティストまで雑多に自分で選択できること。今という場にいるんだと体感できること。

特にアーティストや作家さんは、今まではメディアを通してしか主な接点がなかったから。
(逆の立場では、直にメッセ受けとるのがキツイ時もあるだろーなと予想)

その作家さんに公式IDがなくても、スキなものをスキと発信しておく。
キライなものはあまり言わないようにはしているが、自分の見解を整理するために残すときもある。
ただ....今は@つけなくても検索でかなりひっかかるから、オープンな発言であるという事を自覚しておく必要はあるね!!>自分への戒め

(この項つづくかな....時間がある時に)

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2011.01.31

時は乱暴

結局「ノルウェイの森」は観にいかなかった。

「高校の時に付き合っていた子がくれたの。本を。
 ちょうと私たちが高校の時に流行ったでしょ?
 でもその時はなんだかよくわからなくて。
 映画になる、って聞いて、なんだか昔が
 立ち上がってきたような気がして、
 今なら何を伝えたかったのかわかるのかも、
 見ておくべきかもと思った」

と友達。
彼女は観ただろうか?

彼女じゃないけど、なんだか毎日毎日瑣事瑣末ごとがいっぱいで、日々の出来事に意味づけもせず放置して、ふと五年や十年してその物事に触れた時「あれはああいう事だったのか!!」とか「そうか・・・そっかあ!!」とふに落ちたりする事がたまにあります。まあ「まいあ」によると出来事はただ起こっているだけで、勝手な意味づけをするのは自分自身にすぎない、との事なので、勝手な解釈を勝手なタイミングで行っているにすぎないにしても、、、それにしても。

時間って乱暴だ。
でも、だからこそなにもかもうすれていく。どこかで赦される可能性もある・・・

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帰省中ざっと読んだ本「東京から考える」(東浩紀・北田暁大 NHKブックス)。
すっかり郊外の車人間となってしまって、それを悲しくも便利とも思っている私にとって非常に近しい話題。
どちらかといえば北田氏の意見の方に共感。ざっと読んだだけなので再読の必要アリですが。

時間が経過し、人が快適さを求めると、必然的に郊外はファスト風土化する・・・??

下北沢の状況の話は詳しく知らなかった。こういう意見・状況へのひとつの声として「もしもし下北沢」は書かれていたのだなあ。いまごろ気付いたよ。

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2011.01.05

やわらかく、すこやかに

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
いい年になりますよう。いい年にできますよう。

新年に心に誓った自分のありようは(ありがちで恥ずかしいけれど)「健康」と「心の柔軟さを忘れない」。
アクションプランにおとさなきゃね。

帰省して、周囲の人が年齢を重ねて、こだわりを持ち、頑固になっていくさまを見て、「私もはたから見るとそうなんだろうなあ。いや、一般受けしないキャラ、マニアック??な分、もっととっつきにくいんじゃないか??」と思い至り。

まあ、他の人はともかく私の場合は、こだわりが美になるほどの哲学を持っているわけでもないので、柔軟な心でものごとに触れていきたいなあ、と思うのです。(まあ、だめなものはだめってのもやっぱりあるんだけど・・・)

あと、自分がポカやミステイクをしないという完璧な自信があれば、自分を押し出していくスタイルも美しいのだけれど、最近は「ミスもあるよな、にんげんだもの」と話すこともあります。いや、自分にも他人にも基本ミスは許していないのだけれど、「そういうことがあることが実感としてわかってきた」のです。それに伴い、自分が正しい!!という見解の押し出しはやや緩くなった気がしています。

・・・これを世間では「丸くなった」と云うのでしょうね(と、書いていて気付いた;)

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名古屋では初めてオヤをつれて「初売り」に行ってみました。
えっらいことになってますね。
富山~名古屋でのお買いものメモ。圧倒的に食べ物ばかり。

・ボン・リブラン「甘金丹」:味の丸さとパッケージの勝利で土産王道。
・源「ますのすし」:ぶりのすしの方がスキだけど売り切れ
・クロワッサンのお店「りんご生姜湯」「オーガニックコットンパンツ」
 「あおさのり」「しじみスープ」
・昆布の竹島「ラウス切出昆布」
・御菓蔵「白えびかき餅」「昆布サラダ」:昆布サラダ絶品。
・滑川オリジナルネクタイ「ホタルイカ」:ペイズリーっぽくて
 よく見ないとホタルイカとわからない、と思うw

・ナラカミーチェのブルーストライプのシャツ
・芝安「土鍋味噌煮うどん」
・「鬼まんじゅう」
・しら河「上うな重」

おいしいもの、いいものをみんなとシェアしよう、と手が痛くなった。
一年分の滋養をここでつけてしまわないよう、気をつけねば。

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2010.12.27

人の記憶はかくも適当であってほしい

映画の方の「秘密」を見ていた。
「この親子は一線を越えちゃうんだよ」とダンナに伝え、お風呂に行って出てきたら、広末の花嫁姿で、ダンナは悔しそうに「うそつき・・・」とつぶやいていた。「飛ぶ夢をしばらく見ない」かなんかと記憶がごっちゃになっていたらしい。なんだか読後のテイストが似てるんだよねー(あまり好まない系だからよけいに覚えていない)

私の記憶はかくも適当である。


この間は「3月のライオン」を読んでいて、黒歴史を思い出していた。
ひなちゃんがいじめにあっているので思い出したのだけど。

小学校の4年か5年のころだったとおもう。
ある女の子と「交換日記やろうよ」という事になった。

(ちなみに、あの頃の交換日記は今のメル友ぐらい??一般的で、末っ子でオタク素養(少女漫画、オカルト雑誌からおやじ雑誌まで)のあったおしゃまさんな私は、ぽっちゃり天パー運痴という三重苦にもかかわらず「何の話でもイケる」(当時)ってことで、かなり申込みがあったと記憶している)

その女の子はやせていて、両足はアトピーなのか、かきむしったあとでいつも血がにじんでいた。
普段は足が隠れるような服を着ているのだけれど、あの当時の体育は憎むべきブルマー。そのせいなのか、あまり友達がいなかったように思う。

まあ、交換日記自体はたのしく続いた。
ただ、クラス内では私は別の友人達と主に遊んでいて、そんなに二人で話をするという感じでもなかった。そんな距離感だった。

日記が3冊目に入るころだったか、その女の子に「保健室に遊びにいかない?」と声をかけられた。
その頃はなんだか保健室へ遊びに行くのがブームで、でも私はなんだか二人で行くのに乗り気がしなくって、「やめておく」的な返事をしたんだ。でもその後の放課後に、いつもの友人達に「保健室に行こう」と誘われて、つい行ってしまったのだ。

その女の子はそれを見ていたらしい。
日記に「見てショックだった」という絵を描いてきた。(子ども同士だからうまく文章で表現できなかったんだろう) それを見た私もショックで(子どもだから)「もう交換日記をやめましょう」という形で日記を返した。翌日だったか、母親といっしょに「日記を続けてほしい」と来たのだけれど、私は断ったのだと思う。いつもの友人達と遊ぶのに気がねしたくないからと。なんだか記憶がない。

続けていればよかった。
くだらない話ばかり書いている交換日記だったかもしれないけれど、向こうにしてみれば唯一かもしれない繋がりだったのなら、自分から切るべきではなかった。
私にとっても、つたなくではあるけれども気持ちを分かちあっていた女の子を、自分から切ったという初めての痛さが残っている。

・・・という出来事を「3月のライオン」で思いだしてしまった。

まあ、その子は中学では知的に逞しくやっていたような記憶があるので、ひきずるほどの事ではなかったかもしれない。
でも、あの頃の私の狡さ・弱さを忘れていてほしいとせつにねがう。

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2010.11.22

定点観測列車がゆく

自分ながらの、自分の状態をみる定点観測の軸を、皆がもっているとおもう。

私のそのうちのひとつは"「若草物語」を読む"ということだ。
云わずとしれたオルコットの少女小説である。
一年か、二年ぐらいのスパンで、ふとした時に読みかえす。
この空気、シチュエーション、登場人物の誰に共感するか、パイと死と愛、少女の頃夢中で見つめた物語、世界の切れ端を見返してみる。

似たようなかんじで、田辺聖子の「むかし・あけぼの」も読み返すことがあるが、読み返す歴史の長さから行くと、やはり「若草物語」にまさるものはない。
どちらにも共通するのは、女の人生の物語であるということ。
この間電車の中で久しぶりに定点観測しようかと思ったけど「武道的思考」がおもしろすぎて、帰りに「身体知」買ってまた読んじゃったから未遂に終わっている。
今年中に、もう一度読もう。

内田樹著「武道的思考」筑摩選書の中の一節。
"「同じルーティンの繰り返し」をしていると、わずかな兆候の変化から、異常事態に気付くことができる。"
確かに。スパンは長いけど、自分に異常がないかの確認作業になっているというか。

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この間弥生美術館に「水森亜土展」観に行って、懐かしモノや懐メロ聴いたり、見たりするのがなんでこんなに気持ちいいのか考えていた。
やっぱり、差異やズレ、昔それに触れていた時の自分の感じ方、考え方との違和感が気持ちいいんだよね。
それは何らかの積み上げがないとできないことで、やっぱり年寄りじみたタノシミなのだろう。

でも、赤ちゃんのような気持ちで、あたらしいものに触れる気持ちも大切にしたい。
痛かったりかゆかったりするかもしれないけれど、それに耐えられるうちは手を伸ばすのを忘れないようにしよう。

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2010.11.03

継承、その他

お盆に帰省できなかったので、シゴトが少々谷になる10月、名古屋へ帰省。
ともだちと呑み、親きょうだいと焼肉し、くだをまく。

「今のコは世間にもまれてなさすぎ!もう信じられない!
お客様のものを壊して”たいしたものじゃないから気にしなくていいよ” ”ずっと使っている古いものだから”と言われたら、 ほんとに気にせず、何もフォローせず帰ってくるんだから!!
たてまえをそのまま受け取っちゃうんだから。
報告があるだけでいいほう。」
などと、お局チックにくだをまいていたら、兄は「そりゃそうだよ。」と云う。

-だって、教えられていないから。
教える、という文化も擦り切れかけているから。
もし古株が技術を持っていても、それが新人に覚えられて、技術がついて、新人でもやれるようになったら古株のいる場所がなくなるでしょう。
そのポジションが、教えることによって代替される可能性が高まるなら、誰が教えたりするの。
うちも、人がすくなくなってから皆そんな感じだよ。

さすが、町工場の社長である兄の苦労はハンパないとみた。
シゴトが少ないとシゴトにつく人も少なくなり、シゴトを奪い合うとそんな弊害もあるんだなあ。
やっぱり国力は人口と比例するんだろうなあ....だからC国にも押されぎみ?と酔った頭で考える。

もともとの愚痴の「たてまえと本音の見分け方」なんかは、教育なんかされなくても基本的に身につけていそうなものだけど、結局は、経験値が少ない、氷河期でガチンコの社会経験が少ない、私たち世代に比べたとしても圧倒的にいろんなものにもまれていないのでは、という話になった。

-じゃあ、技術、技術といわないまでもやり方・ノウハウは古株から継承しないの?
-きっと墓まで持っていくんだよ と父。

私は、教えると自分の居場所がなくなるなんて考えたこともなかったな。
甘いのかもしれないけど。
下に教えないと自分が、シゴトがまわらなかった。

とすると、もしスキルを継承する環境を作りたいと思ったときに必要なのは・・・「豊富な仕事量」?「ここでなくてもどこでもやっていける社会環境」?「ここでなくてもどこでもやっていける根性」?
いずれにしても、いまの日本には少なくなっているみたい。

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友人との呑みでは、「今年の夏はハンパなかった。暑すぎだった。ホルモンバランスも崩れた。ウツ入った。」とあるある話で盛り上がる。
私だけじゃなかったよ・・・気候のせいもおおいにあるあるよ・・・
同世代にも、同世代じゃない人にも、同じ地球でなんとか知恵やりとりしあってがんばろ、とエールを送ります。

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2010.10.11

銭形警部で、正義の話をしよう。

いつのまにか銭形警部の気持ちがわかる年になってしまった、みたい。

それはこの間「ルパン三世 カリオストロの城」を見ていた時のこと。昔はルパンや次元、クラリス、メインキャラしか目に入ってなかったんだけど、今回はなぜか銭形警部にシンクロしてしまった。
インターポールに巨悪を訴えても、事なかれ主義の幹部に動くなって隠ぺいされちゃってへこんだり、それでもチャンスはまち、なれあいはしない、人道主義、信じるものは変わらない、そして結果を出す・・・銭形万歳!銭形最高!って気分でみてた。

銭形警部の最終目標はルパン逮捕で、それを考えるといつも結果は出せていないのであれですが、カリオストロの城での彼は、職業人のつらさと生きざまを体現しているような気がしてせつない。
そして、銭形警部の正義感は私の考える「正義」と近いかもしれないとも。

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さいきんダンナにつきあって、サンデル教授の番組とか、岡田 斗司夫氏のUstとか流し見して「正義」って..という問いを自分になげかけたりしたんですが..「正しい行い」って、その時点・その場所・その当事者にはよくわかんなくないですか?まあ、狭義の正義の話ですが。
ある程度の時間が経過した後の方が明確に見える気がするんですよね。

ちょっとミクロの話になっちゃうけど。
この間会った人で、仮にAさんとしますが。
「時間がたてば周りにも見えてくるかな」と自分を慰めたのですが・・・Aさんの言い分は、自分は弱者(でもないんですが)であり特別対応・優遇されなければならない。これはわかる部分もある。ただし、周りのヒトの話をねじ曲げて、自分に都合の良い「物語」を作ってしまい、その手腕がプロの域にまで達している。これが非常に恐ろしい体験でした。ま、非常にミクロな経験なんで普遍化しづらいんですが。

Aさんは話をねじ曲げることによって利益を得ることに長けすぎていたのです。
「物語」がゆがんでいる場合も、何が正しいか見えにくい。心にメモ。

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サンデル教授が示唆していることは、その時点・その場所・その当事者に立たざるを得ない私たちがその場でできるだけ「正しい行い」をできるように、過去を学び、歴史を学び、語られるストーリーは一次資料で確認し(あ、これは言ってないか)、他者の視点を考えろ、ということなんでしょうか?ナナメ見なんであんまりわかってませんが。

ああ、銭形警部と呑みながらなら話が通じそうな気がするなあ。

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