近況と震災直後のネット言説に感じたこともろもろ
やっと…リズムが出来てきたかなあ。
現在、愛知とつくばを気ままに行き来しております。
気づいたら三カ月以上更新してないやん!!…時間軸が飛んどる。
たまにツイートには書いてるけど、その間、
退職して女子たちに泣かれたり、(男子は泣いてないw)
沖縄をふらふらしてたり、
義父の収集工芸品の行く末を考えてたり、
住む別宅(別部屋)を決めてたり、
保険税金に目ん玉剥いてたり、
と、いう感じで過ごしていました。
かってなく時間がある生活…こんなん初めて。
少しの期間、ゆっくりさせてもらいまっせ。
(どっちにいるかわかりませんがメールは生きてますので
お気軽に声かけてね>ALL)
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で、じっくり書くこともなかったけど、震災後の私のスタンスは、「環境破壊が許せない!!それが原発事故によるモノなら、原発イラネ!!」です。現状がどこまで環境破壊されているのかという受け止めで個差が出ると思いますが、私はけっこうペシミスト寄りなんだと思います。
フラッシュバックするのが、私がケッコン前に居た環境と福祉のコンサルタント会社。そこで教えてもらった事、居た人々の発言がたまに思い出されます。いや、発言というか雰囲気?なんだかあの人たちの危惧が現実になったようで。
センシティブなヒトが多いと思ってたのに、実は自分が鈍感で色々見えてなかっただけなんだなって。
悔恨とともに思い出されます。
まあ、今言ってもしょうがないよね。
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今なら書けるかな、震災後のこと。
いや、まだ早いか…
とっつきやすく、震災直後のネットまわりの言説(主にツイッター)で感じたことのみ…
ITジャーナリストのS氏「こういう時こそおいしいものを食べて元気を出そう」
著述家のO氏「元気を出すこと、(ささやかな良いことを)ラッキーと思おう」
このあたりには超違和感を感じていた。そのレベルの話か??って。
いや、ふつーにしてないと経済回らない、ってのはわかるんですよ。
でも感情として、あの震災後の数日にこの発言はどうよ!?と思ったものです。
…きっと彼らも、その当時は規模を見誤っていたんだと思う。
スタンス逆のように見えたのが内田樹氏や東浩紀氏の言説ですね。彼らは災害の規模が測りきれない今は「疎開」もありだと発言し、当時は集中砲火を浴びてた。
竹熊健太郎氏は、少し遅れて危険側に見た発言が多くなったように思う。
当時、仕事を離れられなくて、でもユーストや2ちゃんの緊急自然災害板にたどりついてビビっていた私に、その発言はとても羨ましく思えた。ああ、アリだし、アリだと言えないほど硬直した社会に居るのが今の皆だし私なんだなと自覚した。
もちろん、疎開せずおのおのがその役割を果たしたことで、それぞれの場でそれぞれが救った命の方が多いとは思うのだけれど。でも発言の多様性を許せないほど硬直した社会にイッキになってしまう怖さ。
あと感じ入ったツイート、船曳建夫先生。
なんと先生の家には地下シェルターがあるというツイート。
「ところがEUにも入らず、国民皆兵の気概の独スイスと違い我が国には、生きながらえていると、いずれほとぼりが冷めた頃、国家が全戸を廻って救い出してくれる、そのシステムがない!」
2011/03/24(木)@funabikitakeo氏のツイート転載
ホントだよ…ここでは自分でなんとかするしかないんだよ…
震災直後に感じいった言説はそんなあたりでございました。
―「生きのびるんだ。ここで死んではだめだ」原作ナウシカbotより
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